1974年から1975年に起きた連続企業爆破事件の重要指名手配犯
桐島聡容疑者が約50年の逃亡の末入院していた病院で亡くなりました。
桐島容疑者は極左暴力集団『東アジア半日武装戦線』のメンバーで年齢は70歳でした。
亡くなった時は病院に入院してたということですが入院していたのはどこの病院なのでしょうか?
また病名は何でいつなくなったのでしょうか?
今回は桐島聡の神奈川の病院はどこ?病名は?いつから入院して、いつ死んだ?と題してリサーチした結果をご紹介します。
桐島聡が入院した神奈川県の病院はどこ?
桐島聡が入院していた病院は神奈川県の湘南鎌倉総合病院です。
正確な病院名は公表はされておりませんが
2024日1月25日病院の関係者から桐島聡を名乗る男がいるという情報が警察に寄せらた際
こちらが報道された病院の画像
そしてこちらが湘南鎌倉総合病院の画像
この時湘南鎌倉総合病院には報道陣が集まってたという声もありますし建物の形とヘリポートが同じなので間違いなさそうです。
湘南鎌倉総合病院は救急車で搬送される患者の受け入れ数が年間で約2万2000人と全国のトップクラス。
日本屈指の高度急性期病院として知られているようです。
桐島聡の病名は?
桐島容疑者の病名ですが末期がんと公表されましたが詳しい病名については分かっていません。
どんな癌だったのかは分かりませんが
自らの身に異変が起こっているにも関わらず
病院にも行かず我慢してたということなのでしょう…
相当つらかったのではないでしょうか。
入院してから時期に自分の最期を悟り、自首という形になったようです。
桐島聡はいつから入院して、いつ死んだ?
桐島容疑者は2024年1月上旬から入院しており2024年1月29日に死亡しました。
入院したのは1月上旬とだけ公表されておりませんので正確な日付まではわかりませんでした。
自ら病院に足を運んだわけではなく、自宅近くでうずくまっているのが近隣住人が発見し
湘南鎌倉総合病院に入院することになったようです。
しかし1月25日、突如
『自分は桐島聡だ』
と名乗り、公安部が身柄を確保。
まとめ
今回は桐島聡の神奈川の病院はどこ?病名は?いつから入院して、いつ死んだ?についてご紹介しました。
桐島容疑者が入院していた病院は神奈川県にある湘南鎌倉総合病院で詳しい病名はわかりませんでした。
湘南鎌倉総合病院には1月下旬から入院しており2024年1月29日に亡くなりました。
逃亡生活は約50年。
桐島容疑者は自首したもののすぐになくなったため、事件についてなにも自供させることはできなかったそうです。
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