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桐島聡は時効停止の真相は?本当はいつだった?49年も逃亡できたのななぜ?

1970年代日本を震撼させた東アジア半日武装戦線の一員の桐島聡容疑者が確保され話題になりました。

50年間もの逃亡生活を送っていた桐島容疑者ですが、時効は過ぎているのでは?と思ってリサーチしたところ

桐島容疑者の時効は停止されていたという情報が!

今回は桐島聡は時効停止の真相は?本当はいつだった?49年も逃亡できたのななぜ?と題してリサーチした結果をご紹介します。

目次

桐島聡は時効停止の真相は?

桐島容疑者の時効が停止していた理由は一連の企業爆破事件の共犯者のうちの2人が海外に逃亡しているからだということです。

日本赤軍が1977年に起こしたダッカ日航機ハイジャック事件において

桐島容疑者と共謀したとされる大道寺あや子容疑者、佐々木規夫容疑者が超法規的処置で釈放されその後国外逃亡しています。

そして刑事控訴法の規定では共犯者の公判中は時効は停止するとされているので桐島容疑者の時効が停止していたようです。

ちなみに共犯者で海外逃亡したとされている佐々木容疑者と大道寺容疑者は今だ逮捕されておりません。

桐島聡は時効、本当はいつだった?

桐島容疑者の時効は当初15年程度、1975年に全国指名手配されているので1990年には時効だったということです。

しかし2010年の法改正によって桐島容疑者の時効は、犯行時から起算して

1975年6月10日に佐々木容疑者と大道寺容疑者が関わっていない

オリエンタル社・韓産研爆破事件の共犯の浴田容疑者が起訴されて

2004年8月に判決が確定するまでの期間を除いた上で、桐島容疑者の時効は25年になったということでです。

停止されていた時効がここから再開されたということのようです。

上記の時期を除いた時効を計算すると、桐島容疑者の公訴時効は2029年。

あと5年逃亡していたら、時効になってしまっていたということですね。

桐島聡が49年も逃亡できたのななぜ?

桐島容疑者が49年間も逃亡できた理由としてあがっているのはこちら

・偽名をつかっていた

・首都圏に潜伏していた

・海外逃亡していた

偽名をつかっていた

容疑者は『内田洋』の名前で数十年間にわたり藤沢市内の工務店で住み込みで働きながら潜伏していました。

近所では一緒に酒を飲んだりと親しい仲になった人もいたと言います。

『うっちー』という名で親しまれていた桐島容疑者は音楽好きのいいおじさんという感じで

イベントやライブがあると盛り上げたり、時には静かに飲んで時には音楽に合わせて軽く踊るなどのこともあったようです。c

自宅に知り合いを招くこともあったということで生活の中でも大胆に周囲と交流していた様子。

この人が指名手配犯の桐島容疑者だと疑う人もいなかったのではないでしょうか。

また桐島免許証を所持していなかったようですが工務店に勤務していたことが分かっています。

数十年前までは工場や工務店に勤務する際履歴書を提出させるだけでそれ以上の厳格な身分確認はしていなかったためそのようなことが可能だったのかもしれません。

首都圏に潜伏していた

桐島容疑者は事件のあった東京から近い神奈川県内に長年潜伏していたようです。

事件から約50年経過し、警察上層部も若手も当時のことをリアルタイムで経験した人がいなくなり

事件としては代々引き継ぎはされているのですが遠い昔の事件なのでどこか他人ごとのような感覚があったのではないか。

神奈川県を含む首都圏は人口も多く地方からの流入も多くあるので市民の中に溶け込みやすいため首都圏は潜伏するには最適な場所だったのかもしれないと言われています。

海外逃亡していた

桐島容疑者は海外逃亡していたとの情報もあります。

これは正確な情報ではないようですが

海外逃亡する中で『最後は日本がいい』と桐島容疑者が発言したとの話があるのでこのような情報が浮上しているようです。

まとめ

今回は桐島聡は時効停止の真相は?本当はいつだった?49年も逃亡できたのななぜ?についてご紹介しました。

桐島容疑者の時効停止の真相は、共犯者の佐々木容疑者と大道寺容疑者が海外逃亡したからだということでした。

当初の時効は15年でしたがオリエンタル社・韓産研爆破事件を機に時効は再開され

2010年の法改正によって25年になり2029年に時効が完成さされるということでした。

約50年間も逃亡生活を送ってこられたのは、

内田洋という偽名を使い周囲に溶け込んだ&首都圏に潜伏した&海外逃亡した(?)のが理由だということです。

時効をを迎える前に末期がんで死亡した桐島容疑者ですが逃亡生活の中で

事件の後悔や反省を口にしていたという情報もありましたので、それなら早く自首して欲しかったですね。

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