幼少期から進駐軍キャンプで歌い始め11歳でデビューした伊東ゆかりさん。
1960年代には中尾ミエさんと園まりさんとスパーク3人娘で人気を博しました。
現在でも70代だというのにまだまだ元気な様子をテレビでみせてくれていますね。
そんな伊東ゆかりさんには病気や足を切断した噂があるというのです。
今回は体のことや若い頃のことなど含め調べました。
伊東ゆかりの足切断はデマ?
足の切断というと、事故や病気が考えられますよね。
伊東ゆかりさんの場合は、関節の調子が悪いという自覚症状から始まったそうです。
股関節の調子が最初におかしくなったのは、2015年の夏のことでした。前触れのようなものは何もありません。まさに、ある日突然でした。
引用元 特選街web
事故でおかしくなったわけでもなく突然症状を感じたところが怖いですよね。
その後痛みが増し、仕事先で「車いすを用意しましょうか?」と気遣われるほどの状態だったそうです。
仕事を終えて病院を受診するとある病気だと診断されました。
順天堂大学医学部附属浦安病院 浦安市
その後良くなったり悪くなったりを繰り返していましたが、歩けない状態まで酷くなった時に、
順天堂大学附属浦安病院で、人工関節に交換する手術を受けることになりました。2016年の10月のことです。
引用元 特選街web
と、足の切断手術ではなく人工関節手術を受けたそうです。
ですので、
伊東ゆかりさんの足の切断は完全にデマということになります。
伊東ゆかりの病気の名前は?
先述した通り、2015年の夏ごろから関節の調子がおかしくなったという伊東ゆかりさん。
仕事を終えて病院を受診したところ、
大腿骨頭の一部が血流の低下によって壊死する、大腿骨頭壊死症と診断されました。
理由として伊東ゆかりさんは次の通りに話しています。
私の場合、仕事でハイヒールをはくことが多く、もともと体のバランスが悪かったのかもしれません。
体のバランスが崩れると骨に負担がかかってきますよね。
小さなころから芸能活動をしていた伊東ゆかりさんですので、
長年の酷使がこのような形で現れたのかもしれません。
最初は薬を飲んでごまかしていたのが、どうにもならなくなり手術へ。
手術にはどうしても抵抗がありました。しかし、骨が粉々に砕けたレントゲン写真を見せられたとき、私にも「これは手術するしかない」とわかったのです。
引用元 特選街web
手術は無事に成功し、その後はハードなリハビリが始まったそうです。
これからもステージに立って歌いたい!という強い気持ちでリハビリに挑み、
今は普通に歩けるようになり、更に大好きなテニスもできるようになったそうです。
左:杉山愛さん 伊東ゆかりオフィシャルブログ
以上のことから
伊東ゆかりの現在と若い頃を調査!
伊東ゆかりさんの若い頃から現在までをまとめてみました。
・1947年4月6日生まれの76歳(2024年1月現在)。
・1958年6月:11歳の時にデビュー。
・1963年:一緒の活動が多かった中尾ミエと園まりと共にスパーク3人娘と呼ばれ、知名度を上げる。
・1967年:発表した小指の思い出が爆発的ヒット。日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
・1969年:NHK紅白歌合戦の紅組司会を務める。
・1971年:結婚、翌年に娘を出産。
・1975年:離婚。人気が低迷する。
音楽番組のメイン司会やTBS徹子の部屋などの番組に出演しながら音楽活動を続ける。
・2003年:第45回日本レコード大賞功労賞を受賞。
・2005年:スパーク3人娘再結成。コンサートやチャリティ活動を行う。
・2007年:第49回日本レコード大賞企画賞を受賞。
・2013年4月:歌手生活60周年を迎え、記念アルバムを発売しコンサートも行う。
・2023年:歌手生活70周年を迎える。
11歳でデビューと小さなころから活動していた伊東ゆかりさん。
15歳で紅白歌合戦に初出場とは凄いですね。
スパーク3人娘(中尾ミエ・園まり・伊東ゆかり) スポニチ
その後、スパーク3人娘の自然消滅や人気が低迷する時期を迎えますが、
精力的に芸能活動を続けたことで2013年には歌手生活60周年を迎えます。
歌いたいという強い気持ちが頑張る糧となったでしょうね。
今では、TBS徹子の部屋で娘の宙美さんとの親子共演や元夫佐川満男さんとの共演、
再結成したスパーク3人娘としても出演し話題となっています。
まとめ
今回は伊東ゆかりさんについてまとめました。
大腿骨頭壊死症という大きな病気を克服し、大好きなステージに立ち続けている姿はカッコいいですね。
歌への強い想いが今へと繋がっているのではないかと思いました。
これからも身体を大切にして今以上に素晴らしい歌を聴かせてほしいと思いました。
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